八月の天使 

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シャワーの音が聞こえる。
自分が火をつけた、しかし吸う気のない煙草の煙が
ゆらゆらと天井に上っていくのをぼんやりと見詰める。

知らない子なのにこんなとこまで付いて来てしまった。
どうなってもいいような投げやりな気分は相変わらず私を支配していた。

ここまでの喧嘩は初めてだった。
午前2時の二国で耐え切れなくなって車を降りた私を
アクセルを吹かして追い抜いていった雅浩のMR-2。
それを呆然と見詰めながら立ち尽くしていた私を拾ってくれたのが
今シャワーを浴びている子だった。

「おねえさんも、浴びる?」
水滴が玉になって弾けている若い肌を見て
なんだか眩しくて目を逸らしてしまった。

「浴びないと、できない?」
なんだか自虐的になって挑戦的に上目遣いで言ってみる。

くすっと優しい笑顔でその子は言った。
「僕、病気だから、誰ともしないんだ。傷つけるかもしれないから。
それに、もともと、女の人とは出来ないんだよ。」

何の病気であるか悟ってしまった私は
決して冗談ではないのだと彼の目を見て思った。
「じゃ、どうしてこんなとこ入ったん?」

「だって、おねえさん幽霊みたいだったよ。
放っておいたら本物の幽霊になるかもって思った。
僕はそんなに長く生きないかもしれないけど
幽霊にはなりたくないんだ。」

そういって彼は今度はあはははと声を出して笑った。
私は改めて彼の綺麗な顔に気がついたような気がした。

テーブルに置いた携帯から聞き慣れたメロディが鳴った。
雅浩だ。あれから2時間経っている。
私は電話に出るのを躊躇した。
彼が電話を私のところに持ってくる。
「おねえさん、電源、切っておかなかったよ。
待ってたんだよね?」

彼がそういうとなんだか素直になれそうな気がした。

「今何処?」
不機嫌な、でも心配そうな雅浩の声が聞こえた。
「裏六甲・・・」そういってからホテルの名を告げた。
「あほ!誰といてるねん!」
「・・・天使。」
一瞬沈黙があってから雅浩がもう一回怒鳴った。
「あほ!何訳のわからんこと言うてるねん!
今から迎えに行くから、20分で着くから、早く出て待っとけ!」

たぶんいつもなら「あほあほ言わんとってよ!」
と言って電話を切ってるかもしれなかった。
でも、私の口から出たのは「ごめんなさい」という言葉だった。

「キス、してくれるかな・・・」
ベッドに腰掛けてる彼に言ってみた。
「大丈夫だけど、恐くない?」
「うん。」
綿毛のような軽いキスだった。

「じゃ、いくね。ありがとう。」
「うん。僕は少し疲れたから寝るよ。」

靴をはきかけた時、背中から彼の声が聞こえた。

「おねえさん、人生は短いよ。
あんまりみんな気付いてないけどね。」

振り向いた時彼はもううつぶせに横たわっていた。
少し痩せた背中にかかったシーツが翼みたいに見えた。

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2001/08/11