11月20日

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さっきまでしきりに後ろを向いて話し掛けていたコウヘイ君が
どうも寝たみたいだった。
後部座席から運転するヒロに私は声を掛けた。

「寝ちゃった?」
「うん。もう遅いから。
もうすぐ着くけどオマエも泊まってけば?」
「ううん。タクシーで帰るわ。」

3人で紅葉を見に行った帰りに渋滞に巻き込まれ
もう10時を少し過ぎていた。

マンションに着き、重たいコウヘイ君を抱っこしてベッドに運ぶ途中
不意にヒロが言った。

「そろそろ真剣に考えてくれへんかな。
コウヘイもオマエに懐いてるし
小学校入る前に母親が居たほうがええやろ?」

「ヒロ、あんたそんな無神経な物言いをするから
嫁に逃げられるんだよ。」

ヒロはちょっとだけ傷ついたような顔をしたけれど
私は無視した。

私と3つ上のヒロは、私が大学の4回生の時から4年と少し付き合った。
結婚すると思っていた。いや・・・そのはずだった。
確かにヒロはちょっと女好きだったし
小さなトラブルは何度かあった。
でも二人の仲は公認だったし少しずつお金も溜めていた。
だから6年前のクリスマスイブの突然の電話が私には信じられなかった。

「俺、ガキが出来た。結婚する、ごめん。」
「・・・はぁ?」

一瞬悪い冗談かと思い
あれ?今日って何日だったっけ?
と訳のわからないことを考えていた。

それが夢でも嘘でもない現実だと解って
それからは地獄の日々だった。
なんで?どうして?
結婚までは子供が出来ないように
私はそれこそピルを浴びるように飲み
しばらくはふたりで遊びたいからって
あんたも惨めなほど慎重だったじゃない?
それなのにちょろっと浮気して作ってくるなんて。

女友達はいろいろ慰めてくれた。
「そういう男だったのよ、結婚する前にわかってよかったやん。」
まあ、これは一般的。

「ヒロ君がその女に騙されたのよね。可愛そうにー」
という同情論もあり
「なんとでもなるのに、結局その女が好きだから結婚したんや。」
と、追い討ちをかけられりもした。

で、最後にはみんな
「はやく忘れていい男見つけや。もっとええのんいてるって。」
というところに落ち着いた。

でも、どうしようもなかったのは私のヒロへの気持ちだった。
好きだった。もう会えないなんて嫌だ。
私の全ての生活の中心にヒロがあった。
それはこの上なく幸せだったのに。

ねえ、私はなにか悪い事をしましたか?神様。

そしてご丁寧に友達が教えてくれる
その女の悪い噂を聞いて余計惨めになっていた。

誰がなんと言ってくれても
もう死んでしまいたかったから
衝動的に手首も切ってみようとしたけれど
ガードつきの剃刀はいびつな傷を残すだけで
クスリも飲んでみたけれど
200錠くらいで吐いてしまった。
三週間くらいの間に何度かそんなことをして
もう何も気力というか感情がなくなってしまった。

そのころのことはあまり覚えていないけれど
2年くらいは死んだみたいな生活だったように思う。
でも、人間何とかなるもので私はまた働き始めた。
忘れられなかったけど忘れようと思った。

だからちょうど去年のクリスマスイブ
私の勤めている病院の夜間診療に
ヒロが高熱の出たコウヘイ君を抱えて飛び込んできたときは
心底びっくりしたし
大げさだけどよくTVとか映画のストップモーションで
ふたりにフォーカスがあたったみたいな感じがした。

コウヘイ君は一日入院をして元気になった。
少しおとなしいかなと思ったけれど
目元と口元がパパそっくりの可愛い子だった。

「奈都子、元気そうでよかった」
ヒロが笑って言った。

―ずっと元気だったわけないやん―
ちょっとむっとしたけど、私はやっぱりヒロのこと
ずっと好きだったんだなって思った。
胸の奥がじーーんとした。
鼻の奥がつーーんとするまえに慌てて私は言った。
「お母さんは?」

少し間があってヒロがおどけた調子で応えた。
「俺、捨てられてしまいましたー。」
だから私もふざけた調子で言った。
「また浮気したんちゃうの?」

「・・・むこうがな。」

それから私達はまた少しずつ会うようになった。
昔と違うのはコウヘイ君が間に居る事だった。
だから公園とか遊園地とかが多かったし
ヒロが仕事で遅くなるときは保育園までよく迎えに行った。

事情はだんだん解ってきた。
結婚と同時に営業になったヒロが仕事で遅くなる事が多くなり
家庭を顧みなかったこと。
もともと家庭的ではなかった奥さんが男を作ってしまったこと。
そのころからコウヘイ君は頻繁に
自家中毒や熱を出すようになってしまったこと。

そして奥さんもいつも私の話題を出していたこと。
遅くなると私と会ってるんじゃないかって疑っていたこと。
そう、いつか仕返しされるのではないかと。

「男親がひきとるのは無理だって言われたけど
コウヘイは絶対渡したくなかったんだ。」

そういうふうに言うヒロを見ながら、そして
コウヘイ君の面倒をみているヒロを見ながら
ああ、この人、父親になったんだなって思った。
少し寂しく、少し誇らしいような気もした。
なんかあたしが苦しんだのも無駄じゃないやん、って。
変かもしれないけど。

コウヘイ君が目をこすって少し起きた。
「おばちゃん、帰るん?」
「ん。またね。」
「居て欲しいな。」
そういってコウヘイ君がまた眠った。

コウヘイ君の汗ばんだ頭を撫で
ヒロそっくりの口元を見ていたら
不覚にも涙が溢れてきた。

君はいつも気を使ってママの話はしないよね。
まだ5歳になったばっかりなのに。
遠慮がちに手を繋ぐよね。
こっちがぎゅって握ると初めて安心したように
にこって笑ってぎゅって握り返してくるよね。

私、君を憎んだよ。
君のママも憎かったけどそれ以上に
お腹の中に居た君が居なくなればいいと思ったんだよ。
君に罪はないって解っててもどうしようもなく憎んだよ。
君は私のこと、許してくれるかな?

気がつくとヒロが隣にいた。
ヒロが泣いていた。
私は初めてヒロの涙を見た。

「ごめん、母親になってくれだなんて言って。
その手の傷だって気付いてたけど見ない振りしてた。
どんなに奈都子傷つけたか今になって解る。
甘えてるんだ、俺。
でも、いまさらオマエが好きだからやり直そうなんて
そんなふうには言えなかった。」

私は涙を拭いてヒロの背中をばーーんと叩いた。

「やだなー。そんなん、どっちでも一緒やろ。
お酒飲も。今日は泊まってくことにした。
で、あした仕事休もう。記念日やもん。」
「え?なんの?」
「11月20日はうちらが初めてデートした日やで。
10年前やけどな。」
「そっか、若かったな・・・。」

それから真っ直ぐ向いてヒロが言った。
「返事は急がない。奈都子を今度こそ幸せにしたい。」

「おーおー。またええかげんなこと言うてー
そんなんいう口はこうしたろ。」
言うか言わないかの内に私の唇はヒロの唇で塞がれた。
また涙が出てきた。

あはは、友だちにあほって言われるな。
でも、人生って変でおもろいな。
こんな遠回りもありなのかな。

今年のクリスマスイヴは3人で過ごすんだね。
おっきなケーキ買おうね。
そして神様に祈ろう。
現在(いま)というプレゼントをありがとうって。


おーわり♪
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2001/11/23