Never be another

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いきなり頬に痛みが走った。
屈辱と恥ずかしさで顔が赤くなるのがわかった。
かろうじて身体のバランスをとると
そこにあったコップの水をその女にかけてやった。

わざわざ来てやったのにどういうことよ。
そんなにその男が好きなら
部屋に閉じ込めて鍵でもかけとけば?
あんなの、のしつけてくれてやるわ。

地下鉄に乗るのが嫌だったからタクシーをひろった。
鏡で見たら唇の端にうっすらと
爪で引っ掻かれたようなあとがついていた。
爪を伸ばすヒマがあったらちゃんと男つかまえといてよ。
それかその爪でいいかげんな男を引っ掻きなさいよ。あたしじゃなくて。
ひりひりする。
なんとなくうんざりした。

恨まれるのはいつもあたしなんだ。
私は別に来るものを拒まないだけなのに。
深く考えてるわけじゃない。
その時楽しかったらいいじゃん。

でも、なんか疲れちゃった。
恨みってエネルギー強いもん。
ここまで直接攻撃されたのは初めてだったし。
ドラマだと私が悪役だよねえ。
ふぅ。

携帯でマサトに電話する。
「今日、うちに来てよ。飲もう。」
「またなんかあったな・・・。うん、キツイの持ってくわ。」

飲みながらマサトに愚痴って慰めてもらうつもりだったのに
でも、今日のマサトはなんか違った。
いつも説教臭いけど、いつになく強く私を非難した。

「そろそろ改心しろよ。
そうしないとおまえの前から誰も居なくなるぞ。」

マサトからその言葉を聞いたとき
私はさっきよりも逆上したような気がした。
だからそこらへんにあるものを投げつけて言った。

「何をしようがあたしの勝手でしょ?
誰も一緒にいてくれなんて頼んでないでしょ?
マサトだって、あたしが好きだから来るんだって言ったじゃない?
そんなふうにいうならもういい。出てってよ。」

投げつけたテイッシュの箱がマサトの眼鏡を飛ばした。
それはワンルームの玄関まで飛んでいき
そこで音を立てて左のレンズが割れた。

―ごめん―
そう言おうと思ったけどなんか声がでなかった。

「今日は帰るよ。
でも、おまえの寂しさ包んでやれるの俺しか居ないよ。
おまえの本当のよさも可愛さも、俺知ってるから。」

ドアが閉まった。
私のグラスにはもう氷しか入ってなかったから
マサトが飲んでいたストレートをあおった。
「痛っ」
でも、切れた唇にお酒がしみた痛みより
私がマサトに投げつけた言葉のほうが自分に痛かった。

こんなふうにマサトが出て行くのは初めてだったけど
でも、明日になれば何事もなかったように
電話がかかってくると思っていた。

でも、次の日は電話が鳴らなかった。
そしてその次の日も、そのまた次の日も。
しょっちゅう他の男からかかってくる電話を
「忙しいの、ごめんね。」と3秒で切り
もしかしてこの間にマサトからの電話が入ってたんじゃないかって
とても不安になった。

そして一週間が過ぎて
いてもたってもいられなくなったあたしは
ついにマサトに電話をかけた。

繋がらなかった。
今まで一度もこんなことなかったのに。

<おかけになった電話はただいま電波の届かないところか
電源が入っていないためかかりません>

録音の声まであたしを拒んでいるように感じた。

どうしよう。どうしよう。
そんなつもりじゃなかったのに。
マサトがいないとあたしダメなんだよう。
説教してよ。小言も言ってよ。
もう他の男と寝たりしないから。
お願い、お願い、お願い。

何度も何度も電話した。
でも、やっぱりマサトは出なかった。

会社にかけるのは恐かった。
そこまでして拒まれたら
本当にどうしていいかわからなくなるからだった。

そして長い一月が過ぎた。
頻繁にかかってきてた他の男の子からの電話も
私が取り合わないのでだんだん少なくなってきた。
一度食事に出かけたけどぜんぜん楽しくなかった。
なんでこんなことが楽しかったんだろう。

また一月ほどたったある日
結婚退職する同期のミサの送別会の帰り
最後だからいっしょに飲んでいこうと言われふたりでバーに寄った。

「これで同期、もういなくなっちゃうね。
ちょっと寂しいけど、ミサならいい奥さんになれそうだね。
幸せになってよね。」と私が言うとミサが
「千沙子がそんなこというのめずらしいね。なにかあったの?」と言った。

「千沙子なら、結婚して仕事やめるなんて
バカじゃないっていうかと思った。」
ミサはからからと笑った。

「え?あたしそんなふうに見えるのかなぁ。」
「あたしだからはっきり言うけど
あんた評判わるかったよ。タカビーでさ。
そりゃ仕事もできるし、モテて自信あるってのは悪い事じゃないけど
できない子とか冴えない子にはめちゃ冷たかったもん。」
「・・・。」
「あ、でもね、最近なんか優しくなったみたいって紀子ちゃんが言ってた。」

駅からアパートまでの道を歩きながら
あたしは情けなかった。
自信?そんなもの私にはなかったのに。
でも、誰に何を言われても別にいいと思っていた。
寂しいなんて思ったこともなかった。

だけど、それはきっとマサトがいてくれたからだ。

そう気付いたときあたしは初めて足元がふらつくのを感じた。

次の日の日曜の朝、
懐かしいメロディが遠くから聞こえてきた。
夢の中を漂っていたあたしは
それが携帯の着メロだということに気付くのに少し時間がかかった。

「え?マサト?」

飛び起きて電話に出たあたしの耳に
聞きなれない女の子の声がした。

「澤田の妹です。兄がもうすぐギプスが取れそうなので
電話してくれって言われて。」
「今から行きます。病院はどこですか?」

あたしは化粧もしないで部屋を飛び出した。

妹さんの話によると
マサトはあの夜自宅のそばで車に撥ねられたということだった。
命には別状はなかったが
全部左側の大腿骨と腰骨と腕を骨折しており全治3ヶ月。
まだ入れた金属を抜く手術も残っているとのことだったが
もうすこしでリハビリに入れそうだと彼女は話した。

病室に着くとマサトと妹さんがいた。
2ヶ月ちょっとぶりに見るマサトは少し痩せていた。
ああ、会いたかった、と思った。

「あ、はじめまして。お噂はかねがね〜。妹の陽子です。」
と妹さんがにっこりした。そしてマサトのほうを向いて
「ふ〜ん、この人が噂の千沙子さんね。美人じゃん。」
といってマサトを小突いた。
「あたしお邪魔しないね。
カズキをおばあちゃんとこに迎えに行かなきゃならないからもう帰るね。」

下の玄関まで送っていったあたしに陽子さんが言った。

「兄は妹の私が言うのもなんだけど、すごくもてたんですよ。
遊び人っていうの?冷たいっていうのかしら。
女の人が泣いて家まできたりして。
途中まではかっこいい兄が自慢だったけど
だんだん嫌な噂もたってあんまり口きかなくなってたの。
私だって兄が女の人泣かせるの嫌だもの。
私の結婚の時もそんなことで少し嫌な思いもしたんですよ・・・。
でも、千沙子さんと付き合いだしてから変わっちゃって
お母さんなんか、きっと真面目なお嬢さんなのね、よかったわって。
はやく家に連れてこないかなってみんなで話してたんだけど
でも、お見舞いに来てくれなかったから、もしかして別れたのかなって
そんなこと兄には聞けないしやきもきしちゃった。
でも、よかったわ。事情は聞きません。」

真面目なお嬢さんってところで
あたしはもう顔が真っ赤になってしまった。
でも、知らなかった・・・。

「あ、余計な事しゃべるなって怒られるから今のはナイショね。」

病室に戻ったあたしにマサトは
「あいつ余計な事しゃべらなかったか?」と聞いたので
「うん。余計な事なんか、ぜ〜んぜん、い〜っこも
まぁ〜〜〜〜ったく、しゃべらなかったよ。」と言っておいた。

「大丈夫?」
といったきり私は言葉が出ず
そしてなぜかなんとなく病室にふたりでいると気詰まりだったので
散歩に行こうと誘ってみた。
松葉杖で行くというマサトを
無理やり外来で借りた車椅子に乗せて
私は外へ出た。

そよ風の中、ゆっくりと車椅子を押しながら
マサトの顔を見ないほうがいろんなことを素直に言えた。

「なんで事故にあっちゃったの?
もしかして眼鏡壊れちゃったから見えなかったとか?
どうしてすぐ連絡してくれなかったの?あのときのことすごく怒ってる?」

「あはは、矢継ぎ早に言われても・・・最初から質問に答えよう。
まず第一の質問。人間、事故に遭うときもある。
眼鏡はほとんどダテだから関係なし。
で、次。動けないのに物を投げつけられても逃げられないから。
その次は・・・俺、頭打ってその前のこと、全部忘れちゃったんだ。」
「え?ほんと?」
「うそ。」
「いじわる。」

ちょうど川沿いの道に下りるスロープのところだった。
「おいおい、手を離すなよ。これでここを転がったら俺、再起不能。」
「ブレーキかけるのは得意でしょ?」

春になったばかりの川は暖かい陽射しでキラキラしていた。
その川を見ながらマサトが静かに言った。

「・・・でもね、時間が必要なときもあるんだと思うよ。
ベッドの上でいろんなこと考えた。千沙子もだろ?」

「・・・うん。」
それ以上言葉にならなかった。
もう、何も言わなくても彼はわかってると思った。

「慰謝料きっとたくさん入るからさ、婚約指輪いいの買えるな。
千沙子、ラッキーだな。」

返事のかわりにあたしは後ろからマサトの首に手を回し
すこしかがんで背中をそっと抱きしめた。

マサトは横を向いてあたしの耳たぶを唇ではさんで
それから小さい声で言った。
「あのね、腰の骨折っちゃったからね
しばらくは激しいのできないよ〜ん。」
「・・・ばか。」

あたしたちはしばらく陽射しを浴びて
川遊びをする子供達を見ていた。
胸の中がほわっとして泣きたいような微笑んでいたいような
静かでそしてとってもあたしは満たされていた。

「千沙子、帰ろうか。」
「うん。でもさっきのスロープ登れるかな?」

マサトが振り返って言った。
「頑張って無理だったら、誰かに大声で手伝って、っていえばいい。
助けてくれる人が来るまで何度でも。簡単だろ?」

「・・・うん。」
目の前のマサトが滲んだ。
「ねえ、マサト。」
「ん?」
「生きていてくれてありがとう。」

目の前にスロープがあった。
私は勢いをつけて押した。
そう、やってみて、頑張って無理だったら
誰かに手伝ってもらえばいいんだよね。
ひとりじゃないってそういうことなんだよね。
私はもう寂しい女じゃないよね。

お〜しまい(^^)

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2001/11/30