死神 前編

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1

すべてが滞りなく密やかにそして形式的に終わり
僕は簡単な会釈をしてその場を後にした。

雨が降って来た。
黒いスーツに落ちてくる雨は
少し弾かれながら生地をますます黒く濃くしていった。

「いろいろご迷惑をおかけしましたね。」
後ろから青い傘が差しかけられた。
「私も帰りますので駅までご一緒に・・・。」

「いいえ。・・・ありがとう。」

彩子に似た面差しのその子は
硬い表情をしてしたまましばらく黙っていた。
僕も何を話していいかわからなかったので
少し俯いて歩いていた。

「この雨できっと桜もおしまいですね。」

道路に落ちた花びらが濡れて張り付いていくのを
ぼんやり見つめながら僕がそういうと
急にその子は涙をはらはらと流し強い口調で

「バカみたい。姉なんか死んでよかったんです。」

と吐き捨てるように言った。

葬儀の時には一度も涙を見せなかったように思うのだが
突然の号泣に僕はただ戸惑ってハンカチすら差し出せなかった。

「ごめんなさい。倉橋さんにこんなこと。
でも、お付き合いなさってたのなら5年前のことご存知でしょう?
あの時だってどれだけ回りに迷惑をかけたか・・・。
あの時に姉は死んでいればよかったんです。」

風混じりの雨で桜の花びらが舞い
ふたりの黒い服に模様をつけている。

「僕も、同じですよ・・・。」

僕はその模様を見ながらぽつんと言った。


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2

僕と彩子がはじめて会ったのは僕が復学して2年目の春
大学病院の喫煙所だった。

彼女はいつも黒い服を着ていて白い整った顔とのコントラストが
僕の目を惹いて離さなかった。
患者さんに話し掛ける、ましてや個人的になんて
普通は考えられない事なんだけれど
理由はわからない、でも何かが呼応したということなのだろうか
とにかく僕は彼女に話し掛け、お茶に誘い、
それから少しずつ外でも会うようになった。

3ヵ月くらいしたある日
ベッドの上で煙草をくゆらせながら彼女は不意に言った。

「ね、希は人を殺した事、ある?」

僕は咄嗟に返事が出来なかった。
何故なら、僕には人を殺した事があったからだ。
・・・いや、確かにあれは事故だった。

4回生だった12月、試験の終わった日がちょうどクリスマスイブで
徹夜明けのまま彼女とのデートの帰り
深夜に彼女を家に送って行くときにその事故は起きた。

赤信号無視の車が左側から突っ込んできて車は大破。
助手席の彼女は病院に運ばれて2時間後に死んだ。
僕も6ヶ月の重傷をおった。
表面的には僕の過失はなかった。

しかし、徹夜してなかったら、疲れてなかったら
もっと早くに突っ込んでくる車に気付いていたかもしれない。
なんとなく別れを惜しんで地道を通った。
どうせ帰るのだから高速に乗っていれば・・・
今日はイブだから泊まろうという彼女の言うとおり泊まっていたら・・・
買い換えるはずになっていた車の納期が遅れていた。
予定通りもう少し早く左ハンドルになっていたら・・・
もしも、もしも・・・。

誰も責めなかった。
運が悪かったのだと言った。
早く傷を治して、立ち直る事が死んだ彼女が望んでる事だといった。
学校に早く戻り医者になり人の命を助けろといった。

全部嘘っぱちに聞こえた。
おまえが死んだほうがよかったんだと責められたほうがマシだった。

僕は1週間ほど意識不明だったので
彼女の葬式にも出られず
ただ、彼女が居なくなっただけで何の実感もなかった。
そして大好きだった彼女はいくら望んでも
夢にさえ現れてくれなかった。

学校を辞めるつもりで
でも、説得されるままずるずると3年間休学をした。
そして僕は結局学校へ戻った。
同級生たちはレジデントになっていたり
研修医を終えてあちこちに散らばっていた。

腫れ物に触るように誰もその話題は出さなかったし
なにも知らない人にこんなことを話したのは彩子が初めてだった。



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3

「なんかね、そんな気がしたの。
だって、私も人を殺してるのよ。」

彩子は柔和な笑顔で言った。

あなたのせいじゃないという言葉は僕は聞き飽きていたから
彼女の言葉を聞いたときほっとしたような包まれるような気がした。

そしてまるで芝居の台詞のように
何度も練習したみたいになんの澱みもなくその話を彩子はしたのだった。

「不倫心中?誰かの小説じゃあるまいし、いまどき流行らないだろう?」
「そうね。でも、タイミングっていうのもあるの。
私は、夢中だった。そのまま時を止めてしまいたかった。
そして彼には彼の理由もあった。」

ちょうどその頃彼の事業が失敗しかなりの借金を背負ったと言う話だった。
万策尽きてにっちもさっちも行かなくなっていた、と。

「一緒に死のうっていったのは私。
説得するまで時間がかかったわ。
でも投げやりでもなんでも彼が心を決めてくれた時は
本当に嬉しかった。」

「死ぬ気になればなんだって・・・」
という言葉を僕は飲み込んだ。
そしてそんな言葉が浮かんだ事が自分で可笑しかった。
そのひとじゃないんだから無意味な言葉だ。
残された家族は、とかいう常識的なことを思ううちは人は死なないだろう。
それに彼女はその時その彼の家族が一番嫌だったに違いないのだ。

懐かしむような目をして話す彩子は美しかった。
それから彩子は少しだけ泣いた。

「でも、私だけが残ってしまった。・・・罰ね。」

その後の事は想像に難くなかった。
僕の場合と違ってどんなに非難されたか
そして愛する人と一緒に逝けなかった悔しさと。

それから彩子は病院に通わされたということだった。

「精神科に通う事は嫌いじゃないわ。
あまり人が近づいてこないし、お薬を飲むとね、よく眠れるから。
そして、彼が夢に出てきてはやくおいでって言ってくれるの。」

「悪夢を見るなら薬を変えたほうがいい。」
「悪夢じゃないの、わかってるくせに。」

僕は彩子を抱きしめながら彼女がうらやましいと思った。
僕が殺した彼女はただの一度も夢に出てきてくれないのだ。
どんな恐ろしい夢でもいい悪夢でもいい責めてもいいし許すと言ってもいい。
僕も彼女の夢が見たかった。

「ねえ希。ノゾミ・・っていい名前ね。
あたしね、あなたといたら今度こそちゃんと死ねるような気がするわ。」

「僕は・・・もう誰も失いたくないよ。彩子を失いたくはない。」

僕がそういうと彩子は少し溜息のまじった笑いをしてそれから

「優しい希クン。私は、もう失われてるのよ。
それもわかってるくせに。」

と言った。


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2002/04/13