死神 後編

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4

そのあとも僕らは会いつづけた。
普通の恋人同士みたいだった。

その時の話はもうしなかったが
ポリクリ、レポートと学会の準備、試験・・・
殺人的スケジュールをぬってよくデートをした。
遊園地にも行ったし海も見に行った。

僕は周りに明るくなったと言われた。

週末は彼女の部屋に泊まった。
でも、僕が居る時も必ず彼女は寝る前に眠剤を飲み
眠る彼女を見ながらレポートを書く僕は
たまに彼女の寝顔が微笑んでいるのを見て夢の中の男に嫉妬した。

僕は彩子が「私はもう失われている」と言ったことを忘れようとしていた。
そして決して僕のものにはならないだろうということも忘れかけていた。
あの事故から4年半経っていた。
罪悪感はぬぐえるはずもなかったけれど
でも、そろそろ自分で自分を許してもいいんじゃないかと
そんな風に思うようにさえなった。

早く学生を終えたかったから僕は必死で勉強をした。
そして一年近くが過ぎた。
春がもうすぐそこに来ていた。

「今年は桜が異常に早いみたいだね。国試が終わったら一緒に桜を見よう。」
「卒業するのね、おめでとう、希。あとは国試がんばらなきゃね。
でも、桜は嫌いなの。特に染井吉野は。」
「何故?あっという間に散るから?」
「花は何のために咲くの?・・・掛け合わせられて実がならないあの木は嫌い。」
「綺麗だろ?咲き誇るのも、散り際も・・・。」

「木は、花は、人のためにあるんじゃないわ。」

彩子は一緒に桜を見に行くとはとうとう言わなかった。
それからしばらく国試の追い込みで僕らは会えなかった。

試験の初日の朝、彩子は僕の部屋に来た。
「お弁当を作ってきたわ。頑張ってね。」
その時の彩子は初めて白い服を着ていた。
いつも美しかったけど僕が見た彩子の中で一番美しい彩子だった。

彩子の後姿に僕は言った。
「明後日、終わったら電話する。とりあえず食事に行こう。」
にっこり笑って彼女は
「またね。」
と言った。

それが僕が生きている彼女を見た最後だった。

3日間の国試でへとへとになった僕は
彼女に電話はしたのだけれど
彼女は会おうとは言わず
「すこし休んで。また会えるんだから。」
と笑って言うばかりだった。

そしてやっと約束を取り付けた一週間後
彼女は約束の場所に来なかった。


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5

「え?なんておっしゃいました?」

彩子の妹の声で僕ははっと顔を上げた。
僕の言葉が聞こえなかったみたいだった。

「いえ・・。なんでもありません。」

「それにしても・・・。
倉橋さんにあんな思いをさせて申し訳なかったですね。
大変だったのでしょう?警察とか・・・。」

彩子の部屋で彼女を発見したのが僕だったので
遺書はあったのだが自殺は変死扱いになり
検死をしたり警察にいろいろ聞かれたりしたことを言っているのだろう。

「いや、そんなことは別に・・・。
でも、僕は・・・僕でよかったと思っています。」
「そうですか・・。」

そのままふたりはまた黙って歩きつづけた。
私鉄の駅が見えてきた。

「私はJRに乗りますので・・では、これで。」
彩子の妹は頭を下げた。

「あの・・・。」
「はい?」
「お姉さんを、いつか許してあげてください。」

しばらくの沈黙のあと妹は口を開いた。
「・・・わかりません。でも、私は姉を憎んでいると思います。
自分の事しか考えない、姉のような人にはなりたくない、と思います。」

彩子によく似たその子は彩子とはまったく違う瞳で強く言い切って
もう一度頭を下げてJRの駅のほうに真っ直ぐ歩いていった。

激しかった雨が小降りになり、やみかけている。
そのまま電車に乗る気になれなかったので僕は
駅前の小さいロータリーの石の柵のようなものに腰を下ろし煙草に火をつけた。
目の前に雨に散りかけた桜の木があった。

「実がならないから染井吉野は嫌い・・・か。」

僕に会う何年か前の彩子は
どんな激しさでどんな恋をしてどんな女だったのだろう。
なにも知らなかったような気がした。

(あなたといたら今度はちゃんと死ねそうな気がするわ)

僕は彼女にとって死神でしかなかったのだろうか。
でもそうなら僕はちゃんと死神の役割を果たしただろうか。
優しい死神だったのだろうか。

彼女の事故の時はちゃんと見送る事すらも出来なくて
ただ死に追いやっただけだったけれど。


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6

僕は不意に自分が嗚咽しているのに気がついた。

圧倒的な現実が僕に迫ってきた。
圧倒的な寂しさが僕を打ちのめした。

会いたかった。
もう一度会って話がしたかった。
彩子に。彼女に。
僕が失ったひとすべてに。
死んでいったひとすべてに。

何故僕が救急外科を選択したか知っているかい?
事故や急変で死ぬ人を少しでも減らすため、救うため。
彼女のような死を少しでも無くしたい、出来たら自分の手で。

そうだけど、そうじゃない。

救命率を考えたら死んでいく人が圧倒的に多いんだ。
命が消える瞬簡に僕はそばにいてあげたいんだ。
そのひとが最後に見るかもしれない僕が、
もちろんそのひとに意識がなかったとしても
ちゃんと、見送りたいんだ。
大丈夫だ、怖い事はない

・・・・って言ってあげたいんだ。

そうだ、僕は死神だ。
不遜すぎて、弱すぎて、優しすぎる死神になろうとしているんだ。
僕はなれるかい?彩子。

そうじゃないときっと自分を許せない。
許せないから生きていくんだ、僕は。
だけど、いつか、許そうと思っているからでもあるんだ。

<もし・・・だったら>と後悔を続け
同じだけ<もしも>で夢を見て
たとえ実がならなくても生きていくんだ。

昨日は初めて彼女の夢を見たよ。
泣いていた。
怖かったんだね。苦しかったんだね。
その時僕はなにも出来なかったんだ。

そして僕は
許されたいんだ、と・・・思ったんだ。

僕宛の彩子の遺書はありきたりな事しか書いてなくて
最後に「あなたはいい医者になれるわ。」とあったね。
君はいるべき場所に帰っただけだ。
彼のところへ。

さよなら、彩子。
でも、僕はやっぱり染井吉野は好きだよ。
満開の白い花も狂うように舞い散る様も。

散りかけた桜を見て君の死んだ日を思い出すだろう。
イブになれば彼女が死んだ日を思い出すだろう。

そして
僕は生きて、僕ができることを僕のためにする。




雨は止み雲の隙間から陽が射してきた。
僕は服についた花びらを払って立ち上がった。

おわり

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2002/04/13