「ところで今は何処に居るの?」

彼女がぎこちなく寝返りを打ち
汗で張り付いた髪をかきあげながら聞いた。

「香港。」

僕はうつ伏せのまま彼女の腰に手を乗せでもう一度抱き寄せた。
昔初めて出会ったときはしなやかに張りがあったその肌は
緩やかに柔らかくなって、でも、一年前よりずいぶん痩せていた。

「ダイエットでもした?もうすこしぽっちゃりしててもいいよ。」
去年は少し太ったのを気にしていたから
そういったのだが彼女は答えずにさっきの質問を僕にした。

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僕と彼女は15年前にパリから帰る飛行機の中で出会った。
乗るはずだった便はストライキか何かで欠航になり
ごった返した空港で交渉の末なんとか乗れた機内で隣に座ったのだった。
僕たちはフライトの13時間でいろいろ話をした。
僕は赴任地から休暇で家族の所へ帰る途中。
彼女はまだ学生だった。
あと2時間ほどで到着という時になって初めて
彼と別れてきたといって彼女は泣き出した。

フライトは4時間遅れて成田に到着した時は午前1時を回っていて
僕らはそのままホテルの同じ部屋にチェックインした。
そして当たり前のように身体を重ねた。

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チェックアウトの時
来年の同じ7月の最終金曜日に予約を入れたのは
ほんの遊び心だった。
どうせ同じような時期に休暇を取るのだし
その頃、どこかで見た芝居のような事でもしてみるかと
ふと思ったのだった。
もちろん、期待などこれっぽっちもしていなかったから
まさか次の年に彼女が本当に現れるとは思ってもいなかった。

「名前、ちゃんと聞いてなかったから、不安だったわ。」

一年後に会った彼女は、とても綺麗になっていて
外資系の会社に就職したと言った。
その夜、ベッドの中で僕たちは改めて名前を名乗りあい
僕は日本に妻と息子がいることを告げた。
彼女は「そう。」と言っただけだった。

会うのは2度目、そして一年ぶりだったのに
まるで昔からの恋人のように
彼女と話していると、彼女を抱いていると、僕は安心した。
彼女もそうだと言った。

「不思議、こんなこともあるのね。」

ロマンチックな幻想では片付けられない何かが
やっぱりあるのだと僕も思った。
自分で自分が可笑しかった。
30過ぎて分別もあると思っていた自分がこんな想いをするなんて。

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それから今日までの15年間
7月のその日にふたりが会わなかった事はなかった。
僕は2度の東京勤務を含め
パリからデュッセルドルフ、シンガポールを経て
今は香港で相変わらず単身赴任中で
彼女は3回、つまり3年ほど薬指に指輪をしていたが
それもなくなっていた。
何があったのかは聞かなかった。彼女も言わなかった。
僕もここに来る為に少し無理をしたことがあるし
彼女もそうだろう。

ただ、この不確かな約束の日にふたりがここに居る事
それだけでよかった。理由なんていらなかったのだ。
そして僕にはそれが必要だった。

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「ねえ、七夕ごっこはもうおしまいね。」

背中を向けながら僕の腕の中で彼女は静かに言った。

「え?」
「このホテル、来年の3月で廃業よ。」
「そうか・・・。建て替え?」
「新しい大きなホテルができるらしいわ。」

「じゃあ、今度はそこで・・・」

僕は言いかけて口をつぐんだ。
彼女は今、七夕ごっこはおしまい、と言ったのだ。

抱いた肩が小刻みに震えていた。

「来年は・・・たぶん来る事が出来ないわ。」

耐え切れず僕は彼女をこちらへ向かせた。
飛行機の中で泣いていた15年前の彼女みたいに
叱られた子供のような顔で彼女は泣いていた。

さっきまで僕の背中にずっと回されていたから
明かりを落とした中でちゃんと見ていなかった腕は
ただでさえ細かったのに
もっと細くなって点滴の後が無数にあった。

「セイムタイムネクストイヤーはハッピーエンドだったのにね。
お芝居のようには行かないわね。」

無理やり笑おうとしても彼女の笑顔がすぐ歪んでいく。

僕は彼女の顔を胸に抱いて髪の毛を撫でつづけた。
会えなくなる日が来るなんて考えもしなかった。
いや、考えたくもなかったんだ。
それもこんな残酷なやり方で。

「今、ちゃんと約束しよう。
毎年、7月の最終金曜日、どんなことがあっても僕らは会うんだ。
ずっとだよ。わかったね。」
「うん。空を見上げて。雨が降っていても必ず一瞬は顔を出すから。」

僕は涙を堪えて笑った。
それが今できることの精一杯だった。

「約束してくれてありがとう。
 ・・・間に合ってよかった。」

少し熱っぽくなった彼女を毛布に包んで
僕は窓のところで彼女をずっと抱きしめていた。




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2002/07/01

※セイムタイムネクストイヤー
〔原作〕 バーナード・スレイド
〔翻訳〕 青井陽治
劇書房ベストプレイ・シリーズ