青の女

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最低だった。
最終の新幹線に遅れてしまった。
取れるはずの受注が土壇場でダメになった。
おまけに雨まで降ってきた。
明日からは連休で何件かの常宿のホテルに電話しても生憎満室。
普通は何部屋かあいてるだろう?
ついてない時はどこまでもついてない。

とりあえず妻に電話する。
不機嫌そうに「あ、そう。」と彼女の返事が聞こえた。
途端に腹が立ってきた。
いたわりの言葉ひとつもかけられないのか、この女は。
・・・かけてもらっても嬉しくもないのだが。

カプセルホテルに泊まろうと思ったが
そのまま寝る気にもならなかったので
もうどこかで朝まで飲む気でいた。

自虐的な気分でもあったので
入りにくそうな「会員制」と札のさがったBarに入った。
ぼったくられてもかまうもんか。

特に身分証を求められるでもなく
何も聞かれずその店に僕は迎えられた。

ほとんど暗闇といっていいほどの薄暗い空間にカウンターと2つのボックス。
女性がいるだろう思ったのは大いなる間違いで
マスターと思しき初老の男性がひとりだけの店だった。
連休前の金曜にだというのに客がいない。
ここだけ別世界のようにとても静かだった。

「なんかボトル入れるよ。」
「ここはショットだけです。お客さま。」
蝶ネクタイを締めやけに丁寧な口をきくマスターだった。

とりあえずシングルモルトのスコッチをダブルで頼み、あたりを見回した。
目が慣れてくると何枚かの絵が壁に掛けられているのに気がついた。
すべての絵がブルーの濃淡で描かれていた。
何枚かはヌードで何枚かは顔だけの絵だったがすべて同じ女のようだった。

「お気に召したようですね。」
「そうだな、この子の挑むような目が好きだね、それに色も。」
「この店には女の子はこの子だけですよ。そしてここはこの子が客を選ぶのです。」
「そういえばここは会員制だったね。」
「あなたは特別ですよ、一柳様。」

何杯飲んだのだろう。
マスターに何を話したのだろう。
仕事や家庭の愚痴か、それとも地元ではない気安さで自慢でもしたか。
店を出る頃には僕の足はふらついていた。

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気がついたら隣に女が寝ていた。
ここはどこなんだ?

狭さと部屋のレイアウトからどうやらラブホテルみたいだった。
朦朧とした頭で―よく空いてたな・・・−と僕は思った。
それから慌てて隣の女を見た。
絵の女に似ている・・・が、もちろん顔はブルーではなく
体温は温かくてすやすやと寝息をたて胸が上下していた。
そして裸だった。

ふとその顔に指先が触れたとき彼女は目を覚ました。
最初ちょっと上目遣いの挑むような目つきをしたが
それがふっと崩れてやわらかく笑った。

「君は・・・誰?」
我ながら間抜けなことを言っていると思った。

「あら。忘れた?途中で寝ちゃうんだもの。ちょっと寂しかった。」
「名前は・・?なんて呼んだらいいのかな。」
「私の名前はなんでもいいわ。『青』とでも呼んで。イチヤナギさん。」

『青』と僕はそれから僕が途中で止めてしまったらしいことを初めから繰り返した。
彼女はそれほど若くなかったが素晴らしかった。
僕の下で何度かあの挑むような目つきをした。
何度か繰り返した行為の最中、僕の頭の中ではさっきのBarで見た絵が浮かんでは消えていた。
『青』は懐かしいような匂いがした。
苦くて甘い何かがよみがえるような、そんな匂いだった。
かなり酔っていたはずなのに、そして最近は疲れはてていたはずなのに
僕は彼女の身体の隅々まで貪るように味わい尽くそうとしていた。


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枕もとの電話が煩く響いていた。
窓がないこの部屋に電気はついてなかったので
また僕は一瞬ここが何処だかわからなかった。

「あと10分でチェックアウトの時間ですが、延長します?」

中年の女性の声が僕を現実に戻した。
慌てて電気をつけたが『青』はいなかった。
浴室も覗いてみたがその気配はなかった。

しかしベッドにはゆうべの名残がしっかり残っており
『青』の匂いもかすかにした。

僕はベッドの『青』の寝ていたサイドの床に一枚の絵を見つけた。
昨日の絵だ。
僕は買ったのだろうか?貰ったのか?わからない。
そしてそれを手にとってしげしげと眺め僕は笑いだした。




絵の右下には「 S.Ichiyanagi 」とサインが書いてあったのだ。
そして日付はDec.2007・・・
5年後じゃないか。

携帯を取り出し妻に電話をかけた。
眠そうな声が疎ましそうに出た。

「なあに?何時頃着くの?」

僕は止まらない笑いを堪えて答えた。

「もう帰らない。会社もやめる。もううんざりなんだ。」

「は?なにいってるのよ、あなた。」

最後まで聞かずに僕は電話を切った。

金がなかったから美大をやめた。
才能は、あったかなかったかわからない。
絵を描いていたということすら、描きたかったことすら忘れていた。
あんなに毎日絵の具にまみれてたのに。

ほんとうにもううんざりなんだ。

僕はそこでいつまでも笑いつづけていた。


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2002/10/24


挿絵には門哉彗遥さんHullzの絵を使わせてもらいました。多謝。