あの日から(門哉彗遥 編)

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唯子の墓についている苔を洗い流した。
随分時間がかかったが、日が暮れるまでには
唯子の好きだったミカンと花と、そして線香をあげることができた。
次に那美の墓へと向かった。
僕とは違う苗字の彼女の名前を眺めながら、手を合わせた。

今の僕があるのは誰のおかげなんだろう。
那美は僕が生死を彷徨っている間、本当によく看病をしてくれた。
結局、僕の所為で男とも別れ、ほとんど付きっきりでいてくれた。
伝える術はなかったけれど、今となっては感謝している。

でも、あまりにも時は流れすぎた。
僕の入院費はおろか、那美たちの生活まで危うくなってきた。
そんな時に援助を申し出る男性にすがるのも仕方のないことだろう。
僕の両親の薦めもあって、僕はベッドの上で離婚したのだった。

唯子には、もう来るなと言われたが
僕は305号室を訪ねた。
2度目に訪ねた時、彼女は頑なに入れてくれなかった。

「邦彦さん、どうして帰らないの?
 帰ることができないの?」

彼女のキスが僕の一命をとり止めたものの
意識がまだこの世界を彷徨っていることに
彼女は深い悲しみをよせてくれ、ドアを開けてくれたのだった。

『あの日』から離れられない彼女は
こんな日がくることを予感していたから
この部屋から離れなかったのか。
いや、僕が待ち望んでいたことだったのだろう。

僕は看病をしてくれている那美をそっと残しては
唯子の部屋を何度も訪れた。
空白の7年半を僕らは埋めようとして
不確かな身体を確かめ合い、語り合った。
僕の両親を説得してもらうように唯子にも協力してもらった。
そして、その歳月を上回るほどの時間が過ぎた。

「邦彦さん。本当にこのままでいいの?」

唯子は何度も僕に問いかけてきた。
そのたびに言葉を濁した。
ある日、唯子に揺さぶられ目を覚ました。
彼女は僕の目を見つめながら言った。

「今、那美さんが亡くなったわ。」

突然、僕の身体が宙に吸い上げられたと思ったら
白いベッドの上空にいた。
ベッドの周りには、那美の夫と母親そして
麻奈と勇太がいて、みんな泣いていた。
ベッドには白い顔をした那美がいた。
那美は静かに目を開けると、ベッドから起き上がり
僕のそばにやってきた。

「あなた、ごめんなさい。」

と言って彼女は僕の身体をすり抜けた。
振り向くと、光に吸い込まれるように那美は消えていった。

妻だった人が亡くなった。
僕は那美に何をしてあげてきたのだろう。
看病してくれている時でさえ、どれだけ感謝をしていたのだろう。
いくら言葉で伝えることができないと言っても
唯子の部屋に行っていれば、それは言わずもがなだろう。
僕は生きているのか?
死んでいるのか?
独りなのか?

もう自分の生き方?いや死に方にいい加減うんざりしてきた。
無性に生きたくなってきた。
そうだ、僕にはまだ勇太と麻奈がいる。

「本当にお別れの時がきたみたいね。」

横で唯子が正座していた。

「今度こそ、僕は生きられる気がする。」
「うん、そうみたいね。
 私も、ここを離れることできるかも。」
「唯子。唯子もこっちへおいでよ。」

その時、唯子は眩しいくらいに微笑んだ。
あまりにも眩しくて目に手をかざした時、手をつかまれた。





「お父さん!」


xxx


二人の墓を後にして
私は、杖をつきながら墓を出た。
今年の桜は例年になく早咲きで、もう満開だ。
霊園のまわりは一面桜の花びらが舞っていた。

「お父さ〜ん!」

勇太が坂の下で手を振っている。
その横には、勇太の妻の香苗さんが赤ん坊を
胸に深く抱いて立っている。
桜の花びらがひらひらと、赤ん坊の額に舞い降りた。
こんなに遠くに離れているのに
私には、赤ん坊が微笑むのが見えたのだった。




end


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作者 門哉彗遥
HP  Hullz

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2002/11/28