赤い鳥

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うつ伏せで軽いいびきを立てている明浩の鼻を触ってみた。
ぐっすり眠っているらしく微動だにしない。
私はこの鼻の形が好きだった。

起こさないようにそっとベッドを降りる。
そして彼の財布から一枚のカードを取り出した。
着替えをしてポケットにそれを素早くしまうと私は少し迷って
それでもメモに「バイバイ」と書いてテーブルに置き、そしてホテルの部屋を出た。

その足でまず私は携帯のショップへ行き自分の携帯の解約をした。
そのあと銀行に向かいCD機の前で少し考える。
キャッシングの限度額は4〜50万って所だろうか。
暗証番号は彼のことだから誕生日でいけるだろう。

手にした50万は薄っぺらい銀行の封筒に入れると何の価値もないように思え
手切れ金にはあまりにも安すぎてなんだか笑いたくなってきた。

明浩は起きた時どんな顔をするだろう。
カードがなくなっているのにはいつ気付くのかな。
あとは知らない。彼だってどうにかするだろう。

今日で私は35になった。
28からの7年間を7つ年上の明浩と過ごした。
付き合いだしたころに生まれた明浩の長男は今年の春小学校に入学した。
3年後に生まれた女の子も幼稚園に入った。
私の環境だけが何も変わらず、私は年だけとった。

一度だけ明浩の子供を妊娠した。
困った顔を見るのも謝られるのもいやだった。
忘れられるのも覚えていられるのもどちらもイヤだった。
だから何も言わずに堕ろした。
私はどこまで身勝手になれるのだろうとひとりで泣いた。
産んでいたら彼の下の子と同い年だった。

愛も思いやりもエゴの中で薄っぺらだった。
それでも好きだった。
ただ、一緒にいたかった。

これからどうしよう、と駅で突然途方に暮れた私の目に
並んで声を張り上げている人たちが写った。
正確に言うと、赤い羽根だけが、私の目に映ったのだった。

「これ、募金します。だからできるだけたくさんのその羽根を下さいませんか?」
私はさっきの50万を募金箱につっこもうとした。
なかなか入らなかった。

「そんな金額ならできたら何処かへ持参しては如何でしょう?」
「その羽根が、たくさんほしいんです。」
私は自分でもよくわからないまま必死に頼んでいた。
なにやら数人でごそごそ話していたが
私の様子があまりにも必死だったせいか
かなりの数の赤い羽根をもらうことができた。

わたしはバッグいっぱいにそれをいれて自分の部屋へと急いだ。
どこかへいくつもりだったのでいろんなものを処分しがらんとした部屋に戻り
僅かの服の中から白いものを探した。
此処何年かは自分の部屋に明浩を入れなかったので
ずっと前に彼が置いていった白いYシャツがあった。
捨てずに置いてあった自分が馬鹿だと思ったが
今は自分のその馬鹿さかげんに少しだけ感謝した。

私はそのシャツに丁寧に赤い羽根を挿していった。
白いシャツがだんだん赤くなっていく。
何度か針を指に刺したので滲んだ血は白いシャツになすりつけた。
綺麗なのか醜いのかもうわからなくなっていた。
いつだって解ってなどいなかったのだけれど。

運命とか宿命とか意志とか幸せとか不運とか
過ぎゆく時間の中でただ拡散と収縮を繰り返しているだけだ。
とるにたらないことでどうしてこんなに傷ついていくのだろう。
わたしは裸の抜け殻だ。
だから羽根をつけなければ飛べない。

最後の一本を挿し終わって私も泣き終わった。

上着を脱いでブラも取ってジーンズだけの身体に赤くなったシャツを羽織る。
そして手ぶらですこし暮れかけた外に出た。

何人かがギョッとしたように私を見た。
4、5歳位の女の子が指を指した。母親がたしなめた。
その子をみて私は微笑んだ。
母親は怯えたように女の子の手を引っ張った。

今の私はキチガイか。
そうじゃないふりをしていただけで今までだってキチガイだったんだ。

もう少ししたら夕焼けが濃くなるだろう。
歩道橋に昇った。
古いタイプの歩道橋だったので手摺が低い。
よじ登ってそこに腰掛けて足をぶらぶらさせた。

「さよなら。」

もうすぐ赤い私は赤く燃える夕陽に溶けるだろう。
きっと私は今、心からやさしい顔をしているにちがいない。


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2003/01/30