星のクライマー

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銀座に来るのは何年ぶりだろう。
今日は晄と待ち合わせて結婚指輪を買うことになっている。
晄はあまり意味もなくブラブラするのが好きじゃないので
待ち合わせまでの間ひとりでウインドウショッピングでも楽しもうと1時間ほど早くここに来た。

「ついに年貢を納めますか。長かったねえ。」
昨日、式の出欠についてリエに電話したときに言われた言葉が蘇ってきた。
30半ばをとうに過ぎているので友人は大体子育ての真っ最中だ。
晄は優しいし、なにより明るい。私も大好きだ。一緒にいると幸せだ。
でも、結婚を決心するまでだいぶかかった。
マリッジブルーというわけじゃないけれど・・・これで、いいんだよね?

場所の確認だけはしておこうととりあえず銀座天賞堂の前に行ってみる。
ビルの角から矢を持った天使のブロンズ像が覗いている。
この天使の頭を撫でると愛が成就するらしい。
あまり若くない女がひとりで撫でていたらどうみえるのかしらと
少し笑いながらその天使の頭に手をかけた時だった。


「遥夏」





振り向かなくても誰の声だか私には判った。
忘れたこともない、懐かしい、航一の声だった。
そのままどのくらいたったのだろう。
肩に手がかけられて、それからゆっくりと私は振り向いた。
そこには航一が立っていた。

「久しぶりだね。時間があったらお茶でも飲まないか?」
にこっと笑って航一が言った。

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「僕はコーヒー。」
ウエイトレスにそういったあと航一は「遥夏は今でも紅茶?」と訊いた。
「コーヒーも飲めるようになったよ、でも紅茶にする。」
あのころのような甘えた口調になっているのを私は自分で驚いて
少し恥ずかしく思ってもいた。あれからもうかなり年をとっているのに。

「天賞堂で待ち合わせ?もしかして結婚するの?」
「うん・・・。今日、指輪買うの。知ってると思ってた。」
「いや、知らなかったよ。」そういって航一は笑った。
彼の笑い顔を見ていたら、昔のように胸の中がぽっと熱くなった。
私はこの人が本当に好きだった。

「ところで、誰と?僕の知らないやつかな。」
「ううん、関本君。覚えてるかな。あの時一回生だった・・・」
「えっと・・・ああ、あいつかぁ。あのやたら元気のいいやつな。」
それから航一は少し考えるような顔をして、言った。

「彼ならきっと遥夏を幸せにできると思う。」

それを聞いた時、さっきから抑えていた感情と涙があふれそうになった。

そうだと思うよ。晄と一緒になったらきっと幸せだと思うよ、私も。
だから決めたんだもん。何年も待たして、やっと決心がついたんだよ。
だけど、本当なら航一がそうしてくれるはずだったんじゃない。

でも、それは口に出しては言えなかった。
涙も、こぼれる寸前で止めた。
そのくらいできるようになったんだよ、この10年で。

私を見ていた航一が静かに口を開いた。
「ごめん遥夏。本当に、すまない。悲しい思いばかりさせてしまったと思う。
申し訳ない。でも・・・許して欲しい。」

「許すも何も、こうやって会いにきてくれただけで、いいよ。」
やっぱり涙をこぼさないようにして私はやっとの思いでそれだけ言った。
会いたかったから。
とてもとても会いたかったのは心の底からの本心だったから。

「静かでね、時折ゴーって言う音が聞こえるんだけど
本当に静かで、空気が凛としてて、そして星が綺麗なんだ。満天の星だよ。
遥夏にも、見せてやりたかったよ。」

席を立つ前に航一がとても穏やかな顔で言った。

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銀座通りの歩行者天国まで歩いて雑踏の中で
「ここで。」と航一が言った。
離れたくなかった。でも晄との約束の時間が迫っていた。

「ねえ?抱きしめてくれない?」
言いたいことはたくさんあったのにその時間はあまりにも短すぎて
私はもうどうしていいかわからなかった。

「抱きしめたいけど、もうすぐ花嫁になるひとを抱きしめられないから。しかもこんなところで。」
そういって航一は私の手を握った。
大きくて暖かくていつも私を包んでくれた大好きな手だった。

「それから、手紙が届くかもしれないけど、読まずに捨てて欲しい。
会えたから、いいよね?」
「うん。判った。…ありがとう。」

最後に私が「航ちゃん」と呼んだのは、叫びだったのか呟きだったのか。
そうして航一の後姿は歩行者天国の雑踏に小さくなっていった。
夕方の太陽が眩しくて大勢の家族連れが滲んだ。

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また天賞堂の天使の前で今度は腰を下ろして私は待っていた。
 
「ごめんごめん。ばたばたしちゃってさぁ。」
10分ほど遅れて晄が息を切らして駆けてきた。
 
「大変なんだよ。あのさ・・・」晄が言いにくそうにしている。
「ショック受けると思って、こんなときにあれなんだけど・・・」
「何?」
「谷口先輩の遺体が見つかったって。中島から連絡あって。
あれから10年だぜ?こんなことあるんだよなぁ。
俺、山岳部OBとして明日カトマンズに飛ぶ事にした。」
「そう・・・」
「遥夏、大丈夫か?」
「うん。あのね、谷口君に今、会った。お茶、飲んだ。」
「は?・・・本当に大丈夫か?」
 
その途端に涙があふれてきた。
航一の前ではあれほど我慢していたのに、我慢できたのに
晄の前では駄目だった。縋り付いて、泣いた。
しかも、こんなところで。
それを恥ずかしがりもせずしっかり抱きとめてくれるのが晄というひとだった。
 
「俺さ、遥夏幸せにしますって先輩に一番先に言ってくるから。」
「うん、うん・・・」
 
「どうする?指輪・・・。日を改める?」
迷いはもうなかった。
 
「ううん。今日がいい。」
「そっか。じゃ、入ろう。」
 
そういって晄と私は同時に天使の頭を撫でた。
手が重なった。
私はこのひとと、生きていくんだ、と不意に確信した瞬間だった。
 


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2004/03/01