カナコさん

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少しためらってから一応チャイムを鳴らす。自分の部屋なのに。
「おかえり」とドアが開く。
ああ、やっぱり居たのか。
ほっとしたようなうっとおしいような感情が沸いてすぐ消える。


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カナコさんは5日前から私の部屋に居る。
最初は当然ビックリした。
残業でほとんど終電になり疲れて帰ってきて鍵をあけたら見知らぬ靴があったからだ。
1DKの狭い部屋に明かりもつけずにカナコさんがいた。

「誰?」
恐る恐る尋ねるとカナコさんは「アタシだよ、カナコだよ。忘れたの?」と言った。
「出てきちゃった、しばらく置いて」とカナコさんは言うとそのまま寝てしまった。
私は戸惑ったままその日はシャワーも浴びずにソファで寝たのだった。

起きたら朝食が出来上がっていた。
「ありあわせのもので作ったから、地味だよ」そう言ってカナコさんは笑った。
炊き立てのご飯とお味噌汁、玉子焼きと野菜炒め。
こんな朝食は久しぶりだった。
「美味しいや」なんだか懐かしくて涙がでそうだった。
私は余程疲れていたのだろう。
一人暮らしをはじめてから、こんな朝食なんて本当に久しぶりで、
死んだ母親を思い出したのだった。
「悪いけど、あたしには何も聞かないでくれる?
置いてくれるお礼にご飯作ってあげるし、お掃除してあげるから」
そう、私と違ってカナコさんはいつだって強引だった。
そして今聞いたって何も言わないに決まっている。
「わかった」
そうして私とカナコさんはそれから一緒に居る。

仕事に行っている間、乱雑だった部屋は見事にきれいになった。
そしてどうやって帰る時間が解るのだろうと思うくらいできたての食事が用意されているのだ。
カナコさんはテキパキしていて、何をやっても私より上手で、一緒にいると惨めになってしまう程だ。
そしてカナコさんはほとんど自分のことを話さない。
だから私はいつも私の抱えている問題をカナコさんについ話してしまうのだ、癪だけれど。

「ふーん、それでどうするつもりなの」
煙草の煙をふーっと吐きながらカナコさんは言う。
私はその仕草が嫌いだ。
「煙草、吸わないでくれる?」
「あ、悪い。嫌いだったよね、ってか結構はっきり言うようになったじゃん」
いたずらっぽいその顔も、東京弁のような「じゃん」も嫌いだ。
東京にはいい思い出がない。母さんが死んだときの雨を思い出す。

「どうするとか、どうしたいとか、なるようになるやろ。考えるの嫌いやねん」
「あんたっていっつもそうだ。しょうがないとか、どうでもいいとかいって
自分じゃ決められなくて、責任とりたくないだけじゃん」
「なんでそこまでいわれなあかんの?私を責めに来たん?じゃ出て行ったらええやん」

それが昨夜の会話。
今朝はカナコさんが寝ている間に家を出て会社に行った。
だからもしかしたらもういなくなっているかもしれないと思ったのだった。


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「ごはん、できてるよ」
なんでもない顔をしてカナコさんは居た。
なんだか食欲がなかった。
でも、夜中だし小腹がすいた気がして食べようかなと思ったときだった。
胃の奥の方から一瞬何かがこみ上げてきた。
それはすぐ収まったが、なんか違和感のようなものが胃から消えない。

「妊娠じゃないの?」カナコさんは恐い顔をしていた。
ニンシン・・・なんでそんな単語を使うんだろう、このひとは。こんな顔をして。
せめて赤ちゃんとか・・・
赤ちゃん?私は青ざめた。
思い当たる節が大いにあったからだ。

「だからどうするつもりなのよ」畳み掛けるようにカナコさんが言う。
私は答えられない。どうすればいいのかわからないのだ。
どうしたいのかも、本当にわからないのだ。
「とりあえず、アイツに電話しな」カナコさんは携帯を持ってくる。
「嫌だ」私は抵抗する。「話したくない」
「んじゃ、もし出来てたら堕ろす?それとも一人で産む?」
「まだわかんないやん、なんでそんなに急ぐねん?」
「あんたはタマには急がなきゃダメなんだよ。いつだってタイミング逃してバカなんだから・・・」
涙がぽろぽろこぼれた。
カナコさんに言われなくたってそんなこと自分でわかってる。

「ごめん、言い過ぎた・・・」

ユウキとは職場恋愛だが、彼は去年東京に転勤になった。
だから私たちはいわゆる遠恋になった。
お互いに仕事は忙しい。仕事の内容も知っているからこそ無理はいえなかった。
こちらに出張に来るときは当然会っていたし、
彼も忙しい合間を縫って休日に会いに来てくれていたけれど
私が東京に行くのは嫌だった。
中学3年まで暮らした街だけれど、良い思い出は少なかった。
あの街で、母は暴走した車にはねられて死んだ。
そのあと新しい母が来たけれど、あわなかったし、そのあと転勤で暮らした北の街も好きになれなかった。
だから大学は京都をえらんだ。母が話していたやわらかい言葉が聞きたかったのかもしれない。
就職した年に父も死んだ。それから私はひとりぼっちだ。
ユウキは初めて愛した人だ。
このひとと、家庭を作っていくのだ、とすごくうれしい気持ちになったのを覚えている。

それが崩れ始めたのはほんのひとつき前。
会社でマキが私に聞いたひとこと。
「ヨシダくんと別れたの?」

問い詰めた私にマキが社宅のユウキの部屋から朝、同僚の女の子が出てきたのを見た

東京の本社の子が言っていた、と言った。
確かめたくはなかった。泣いたりもしなかった。
本当はユウキのこと、好きじゃなかったのかもしれない、とも思った。
そして着信拒否をして、ひとつきたった。

「そやってあんたはいつも逃げる。そうだよね、なにもかもあんたのせいじゃないんだもんね。
あんたのまわりの景色だけが、うごいているだけだもんね」
カナコさんはなんだか疲れたようにつぶやいた。

「もしかしたら、あたしよりあんたのほうが強いのかもね」
カナコさんが泣きそうな顔をしている。
そんなのははじめてみた。
「愛されたい、一人じゃ嫌だって、足掻いてるのはあたしの方なのかな」
「カナコさん・・・」
私はカナコさんの頭を抱きしめて撫でた。このひとの肩細いんだ、と思った。
私たちは抱き合ってまた少し泣いた。

「やり方がわからないねん」
傷つくのも、傷つけるのも考えるだけで痛いから
そのときをなんとかやり過ごせばあとはまたやっていける
そんな風にしか考えられなかった。

「ねえ、私はユウキを愛している?ユウキが必要?ユウキはどうなのかな・・・」
「知りたい?答えが出なくても、知りたい?問いかけていたい?自分に」
「うん・・・」
「あんた、標準語になってるよ」カナコさんは少し笑った。
優しい顔だった。

「あたし、明日の朝、出て行くね。とびきり美味しい朝ごはんつくったげる」
「わかった。今日は一緒に寝ようね」
私はカナコさんと初めて姉妹のようにくっついて眠った。
子供のころの夢を見た。母さんに優しく抱きしめらていた。


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のぞみは定刻どおり東京駅に着いた。
私は何をユウキに言うのだろう。
まだわからない。
そしてユウキはどう答えるのだろう。
まだ、何も、わからない。

改札を抜ける前にユウキの姿が見えた。
胸が痛くなった。好きだ、ってはっきり思った。

「がんばれよ、グズ!」
カナコさんの声が聞こえたような気がした。
でも、もうきっと彼女には会えない。
そして会う必要もないんだろう。

「ユウキ・・・」
「来られたんだね、よく来たね、香奈子」

(ユウキ、たくさん話すことがあるの)

結果はもう恐れない。
私は走り出していた。






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2005/08/30