あの日から

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僕はガラス越しに僕の横たわる姿を見ていた。
規則正しい電子音が響いていた。

誰も居ない廊下をゆっくり歩きそっと階段を下りる。
受付のところで妻の那美が携帯で話している。
ひそめた声が時折反響を伴って内容は筒抜けだ。
こんなときでもあの男か。

わざと前を横切ったが那美は気付かない。

病院を出て僕はタクシーを拾った。
とりあえず家に帰ろう。

明かりがついたままの家に入る。
炬燵で姉弟が折り重なるように寝ていた。
ビリビリに破かれた広告。
クレヨンで書きなぐった赤と黒ばかりの絵。
「ごめんな。」
まず勇太を抱き上げてベッドへ運ぶ。

麻奈が目をこすって起きた。
「パパ?おかえり。」
「勇太の着替えをしてくれたの?麻奈はえらいね。」
「麻奈、おねえちゃんだもん。」
「うんうん。」
「おなか、すいちゃった。」

ミルクを温め麻奈に飲ませて寝かし
僕は煙草に火をつけた。
小さな犠牲者の寝顔を見ながらぼんやりと煙を見ていたら
なにか思い出せそうななんとも表現のしようのない感情が沸いてきた。

慌てて煙草をもみ消しコートを羽織って
僕はまた家を出てタクシーを拾った。

高速を通ってそこについたのはそれから40分後だった。
交差点で降ろしてもらい、海の方角に歩く。
ここを歩くのは7年半ぶりで
あの地震で建物がひどく変わっていたから
まるで違う町を歩いているみたいだった。
もう違う建物になっているかもしれない。

しかし、そのアパートはそこにまだあった。
305号の郵便受けを見る。
・・・彼女はまだそこに居た。

ゆっくり階段を上る。
腕時計をみると午前2時。
起きているだろうか?誰かと一緒だったら?

一度大きく息を吸ってチャイムを鳴らす。
もう一度。
3度で出なかったら帰ろうとチャイムにもう一度手をかけた時
静かにドアが開いた。

「・・・邦彦さん?」
「ごめん、突然。」

7年半ぶり見る唯子の顔はすこし年をとっていてふっくらとしていた。

「とりあえずお茶、入れるね。」
「ごめん。」
「謝るのは、なし。」

昔と同じ笑顔で唯子はにっこりと笑った。

「あんまり変わってないな。」と僕が言うと
「あら、年とったわよ。あなたもね。」と唯子はまた柔らかく笑った。
「お子さん、いるんでしょ?」
「うん、ふたり。上は幼稚園の年長で下はふたつ違い。」

それから何を話していいか僕はわからなくなって
悪戯っぽく笑う唯子に近づいてキスをした。
あれからいろんなことがあったんだ
よかったことも悪かった事も。
だけどそんなこと話してどうなるというのだろう。

そのまま僕らはベッドにもつれ込んだ。
唯子はなにも言わなかった。

僕はこんなにも唯子の身体を覚えていた。
カタチも、温かさも、何処をどうすればいいかも。

「泣いてるの?」
唯子が胸の上で僕の頭を撫でながら言った。
「うん。泣いてる。」
「少し、寝なさい。」
「うん。」
僕は子供みたいに声を上げて泣きたかった。

忘れたかったんだ。
忘れたと思ってた。
だけど忘れてなかったんだ。

目が覚めたら少し明るくなっていた。
唯子は僕を見つめていた。
哀しげで優しい届かないような目をしていた。

「邦彦さん。帰らなくちゃ。」
「・・・うん。」
「もう『ここ』に二度と来ないで。」
「・・・どうして」
「約束して。」
「・・・。」

「ねえ、最後に我儘聞いてくれる?」
そういって唯子はキスマークをつけたいと言った。
僕はためらわずに「いいよ。」と答えた。

喉仏の下、鎖骨の間の窪みの少し上のところに唯子はキスをした。

「ほら、ちょっと目立つけど、これで大丈夫。」
何が大丈夫なのかよくわからなかったけど
そこに触れるとなんだか大丈夫のような気がした。

「さよなら。またずっと・・・本当に忘れた頃に会いましょうね。」

そして唯子はドアを静かに閉めた。


xxx




僕が退院してはじめてしたことは
唯子の墓参りだった。

その年の成人の日、僕たちは喧嘩をした。
唯子の会社の元同僚だった那美に誘われた僕は
ほんの軽い気持ちでデートを何度かした。
それを友人から聞いた唯子が今までになく僕を責めた。
めんどくさくなった僕は真剣にそのつもりもなかったくせに
「じゃ、別れよう。」と唯子に言ってしまった。
「行かないで」と泣く唯子を置いてアパートのドアを乱暴に閉めて出たのだった。
一週間もしたらまた連絡をとろうと思っていた。

そして2日後、1995年1月17日
それが起こった。

あの混乱の中で
アパートが全壊し、唯子が死んだのを知ったのは2週間も経っていた。

それっきり僕は何もしなかった。
その場所にも行かなかったし
ずいぶんあとに行われた葬式にも行かなかった。

忘れたかったんだ。なにもかも。
街のあの光景も、彼女の泣き顔も、行列も、匂いも、瓦礫の山も。

引っ越して、何もなかったように暮らした。
忙しくしてたら、毎日をただくたくたになって過ごしたら
何も考えなくてすむ。
いつのまにか結婚して
いつのまにか子供は2人になって
いつのまにか不況になって
いつのまにかこんなふうになっていた。
あの日から僕は逃げたかった。
なにひとつ積極的に選んできた事はない。

那美が男を作っていたのは知っていたが
なにもいえなかった。
どうでもよかった。

疲れ果ててふらふらと車道に飛び出した。
死にたかったわけじゃない。


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2002/11/23


さて、あなたはどっちへ行く?

☆Nadja編
A) えいっと右へ進む    
B) とにかく真っ直ぐ進む  
C) なんとなく左へ進む   

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